上記写真の椅子をご覧下さい。一見何の変哲もない、どこにでもあるような椅子だと思われるかもしれません。そして"イームズ"という聞きなれない名前。実はこの椅子の原形は、1940年代半ば、チャールズとレイ・イームズというアメリカのデザイナー夫妻が初めて作ったのです。

 

 

 




 イームズ夫妻の家具は、当時、もっとも先進的だった合板、プラスチック、ワイヤメッシュ、アルミニウムなどを素材にしたものが多く、軽やかで、イームズ・カラーと呼ばれる鮮やかな色彩に彩られています。
 そして、合板やプラスチックといった近代的な工業製品から作られているにも関わらず、どこか温かく和やかな雰囲気をかもし出しています。
 そして古びることのない、いわば使い込むほどに魅力の出る、永遠性を持っています。似たような製品が山ほど存在する中で、今も彼らの家具が愛されるのは、他とは違う特別な魅力があるのです。







 チャールズ・イームズ(1907−1978)は、「幼い頃から説明書を読むのが趣味だった」という、理論や技術工学に興味を示す少年でした。12才で父親を無くし、母、姉、叔母に囲まれて育った彼はアルバイトをしながら高校を出て、ワシントン大学の建築科に入学します。しかし「革新的すぎて学校になじまない」と放校処分を受け、設計事務所で働くようになり、ついで自分の事務所を設立、建築家としてキャリアをスタートしました。この時に設計した教会が雑誌に紹介され、エリエル・サーリネンという高名な建築家の目に留まり、ミシガン州のクランブルック美術アカデミーに招かれることになります。

 カリフォルニア州サクラメントで生まれたレイ・カイザー(1912−1988)は、短大を卒業した後、家族とともに芸術的な刺激に満ちたニューヨークに暮らします。ピカソ、カンディンスキーらが好きだった彼女はこの地で現代美術を学び、若くしてマンハッタンで個展を開くまでになりました。しかし母親の死をきっかけにミシガンに移り、クランブルック美術アカデミーに入校。ここがチャールズとレイの運命的な出会いの舞台になったのです。1940年、ヨーロッパはすでに第2次世界大戦に突入していました。

 翌年2人は結婚、家具デザインにおける共同活動が本格的にスタートしました。イームズ夫妻は成型合板を製造するための大きな機械を自分たちで造り、新居のアパートに備えつけ、新婚の部屋をまたたく間に工房に変えてしまいました。デザインといっても、図面を引くより、実際に合板を造り、曲げ、実験を繰り返すことに重点をおいて試作を重ねたのです。

 ある日、医師が夫婦を訪れます。当時、アメリカ海軍は負傷した脚の固定のために金属製の副木を使っていたのですが、重くて、使い心地も使い勝手も悪いものでした。医師は2人の成型合板を見て、これで副木を作れないかと提案しました。2人はまたもや自分の脚を実験台にして、副木の試作を始めました。完成した副木に対して、海軍からは注文が殺到します。高い評価を与えられた成型合板加工技術に対し、飛行機のパーツの開発の依頼も受け、彼らの技術は軍需を通じて飛躍的に発展しました --- そしてこの技術が、戦後の新しい時代に新しい生活を提案するデザインの基礎となったのです。







 軍需用の技術開発に携わることで手に入れた最先端の技術は、再開した成型合板製の椅子デザインに、すぐに応用されました。合板の椅子の座り心地を快適にするには、座面や背中に非常に微妙なカーブを持たせることが必要だったのです(もちろん美しい形にするためにも)。

 戦後1947年、ニューヨーク近代美術館で、新しい時代のための家具のデザインコンペが開かれます。時代は変わっていました。「・・・世の中で今、多数の人が必要としているのは、小さなアパートに適した家具です。優れたデザインながら、低価格で、心地よいが小さく、移動しやすく、収納や手入れが簡単な・・・」 館長が語ったこのコンペの意図は、イームズ夫妻のデザイン・ポリシーとぴったり合っています。チャールズ自身が語るように、イームズの全てのデザインには、「最大多数の人に最高のものを最大個数、最低価格で」というモットーが根底にあります。そのために彼らが選んだ家具の素材が、成型合板、プラスチック(繊維ガラスで強化)、ワイヤといった工業生産による新素材だったのです。

 しかし当時はいずれも使い始められたばかりで、家具として実現するには素材の性質を調べ、研究し、さらに試作を繰り返さなくてはなりませんでした。新しい素材に挑む時だけでなく、彼らは構造、形、細かな部品、全てに完璧を求め、飽くことなく改良のための研究と試作を繰り返しました。イームズ家具の品質の高さは彼らの天才によるだけではありません。一点一点が科学的な研究と試行錯誤に基づいた、努力の結実なのです。研究、試作、技術の向上はまた、作品を美しい形に調整するためにも必要でした。このコンペにイームズは「ラ・シェーズ」という不思議な形の椅子を出品しました。「ラ・シェーズ」だけでなくほかの家具にも、レイが学んでいた抽象美術の影響がみられます。無駄を削ぎ落としたシンプルで、しかも曲線と色使いに愛らしさを感じさせる、独特のデザインです。

 実用性だけでも、また品質の伴わない形だけでも、イームズ家具はコピー製品の間に埋もれていたでしょう。夫妻は、お互いの才能を補い合い、一人が才能を発揮することでもう一人の才能をさらに大きく開花させ、1+1=無限大の関係を作っていたといえます。やがて二人の才能は家具を越えて「家づくり」「映画製作」と限りなく広がってゆくのです。

 最後になりましたが、本展はドイツのヴィトラ・デザイン・ミュージアムとアメリカ議会図書館が企画した過去最大のイームズ回顧展として1997年から世界を巡回しています。ヨーロッパとアメリカ、二つの大陸に分かれたコレクションがこれだけの規模で一堂に会するのは、本展が初めてです。是非一度、足をお運び下さい。

読売新聞大阪本社 文化事業部 天埜実代子





「チャールズ&レイ・イームズ」展  開催予定




          主催:読売新聞大阪本社






     

 

インテリア雑誌や街のカフェでたびたび目にする、 今人気の「ミッド・センチュリー・モダン」家具。 主に1950〜60年代にアメリカで作られた家具を 指し、使いやすい現代性とどこか懐かしい香りが 魅力です。中でも圧倒的な人気を誇るのが、 チャールズ&レイ・イームズ夫妻が創り出した 「イームズ・チェア」と呼ばれる椅子のシリーズです。 前回ご紹介した通り、成型合板やプラスチックの 椅子で成功を収め、家具デザイナーとして揺るぎない 地位を築いたイームズ夫妻ですが、その後も自らの 可能性を探るように建築、空間デザイン、子供の ためのおもちゃ作り、後年は展覧会構成、映像、 そのほか様々な仕事に挑戦し始めます。

 

 2人はカリフォルニアの丘陵地帯に通称「イームズ・ハウス」(1949年)と呼ばれる自邸を設計、20世紀の代表的な住宅建築の一つに数えられ、今も多くの見学者が訪れます。
 この家は家具と同様、「できるだけ安価に質の高い住宅を造る」ことをモットーとして建てられました。 夫妻はコストダウンのため、建材はドアや窓枠も含め、すべて工場や倉庫用の既成品を使い、逆にその 素材の質感を利用してみせまし た。カラフルなパネルと大きな窓で壁面を構成した外観は、彼らがデザインした「イームズ収納ユニット」に似ており、丘の上の豊かな自然に溶け込んでいます。敷地内の草地や樹木を守り、エクステリアに生かすため、設計図面は途中で描き直されました。
  四角い箱のようなきわめてシンプルなこの建物に、レイはインド、中南米、日本や世界各国で集めてきた雑多な人形、貝殻、石ころ、オブジェなどを飾って居心地のよい空間に仕立てました。モダンなイームズ家具とエスニックな小物が並ぶ家はおもちゃ箱のようでしたが、 訪問者にとってはわくわくする楽しみがいつも待っている家だったそうです。「インテリアは住む人が自分の個性にあわせて創るもの。そのために建物は単純なほ うがいい」というのが2人の考えだったのです。
  また、畳を敷いた部屋を作り、時には日本式のお茶会を楽しみました。チャールズ・チャプリン、山口淑子、イサム・ノグチらが招かれた記録が残っています。銘々膳には自作の合板製ミニテーブルが使われました。  2人の柔軟な発想は、来客用の食器として科学実験用の容器を取り入れることもあったそうです。


 家具と並んで、現代でも新鮮な驚きを与えてくれるイームズ作品に映画があります。 「チャールズ&レイ・イームズ 創造の遺産展」会場でも一部を紹介していますが、イームズ・オフィスは28年間で130本近い短編映画を制作しました。中でも最も有名なのが、「パワーズ・オブ・テン」(1977年)という作品です。
  芝生で男性が昼寝する姿を上から映すシーンで始まるこの映画は、カメラがどんどん遠ざかり、公園の遠景、地球、太陽系、銀河系、ついには宇宙の果てまで到達します。続いてカメラは逆方向にどんどん近づいて男性のシーンに戻り、今度は彼の手のアップ、細胞、DNA、原子、電子、クオークの世界に入り込んで行きます。 ありふれたのどかな風景から少し視点を変えるだけで、はるか宇宙にも自分自身の中へも無限に広がってゆく未知の領域。この映画は、科学は決して遠い世界の話ではなく、我々の日常の中にあることを物語っています。
  科学は単なる学問ではなく、我々が生きるためにこそ探究されるものだと伝えているようです。  しかし、この映画の何よりの魅力は「面白いこと」です。壮大なドラマがわずか9分間の短編に凝縮され、スピーディーな展開は目が離せません。
  イームズ・オフィスはIBMやポラロイドといった当時のハイテク企業の発注で、製品のPRや社員教育用のフィルムを多く制作していますが、わかりやすさ、誰でも楽しめる面白さが第一に考えられています。 インスタントカメラのPR映画ではその特徴を生かした遊び方をいくつも提案し、コンピューターについては機械への親近感を抱かせるためにコメディードラマ、人形劇、アニメーションまで多種多様な手法を工夫しています。


 

 


 子供の頃から理工系が好きだったチャールズは、科学や技術に親しむことは、新製品の説明書を読んだり丈夫な家具を選んだりする助けになり、日常生活に役立つということを知っていて、その事実を社会一般の人々にも分かって欲しいと強く願っていたのです。そのための最高の近道は、楽しんでもらうこと。夢中になれるほど楽しい体験をすれば、知識は自然に頭の中に染み込んでしまう。これが、イームズ夫妻が何かを伝えたいと考えた際のやり方でした。
  イームズ夫妻は、アメリカ政府の要請で、冷戦下のモスクワにアメリカ文化を紹介するためのマルチスクリーン映画「アメリカの光景」(1959年)を制作しています。「ロシアでもアメリカでも夜空には同じ星が輝いている。空から見下ろす街は、 同じように見えているはず…」というナレーションで始まり、食事風景、教会に通う人々、マリリン・モンローの笑顔、ロッキー山脈、摩天楼など2200枚ものアメリカを映したスチル写真が軽快な音楽にのって次々と流れ、友愛のメッセージをこめた忘れな草のショットで締めくくられるこの映画に、モスクワ市民は喝采しました。アメリカ政府は、国力を誇示する、違う種のプロパガンダ映画を期待していたと言います。 しかし幸いにも完成したのは夫妻がフィルムを携えてモスクワに向かう当日ぎりぎりだったため、観衆の心に飛び込むイームズの方法論がそのまま通ったのです。チャールズ自身も後年、「こちらから意見を求めなければ、皆忙しくて気が回らないことがあるからね」とこの時の状況を語っています。
 イームズが愛される理由は、一般的な普通の人々の生活を豊かにするためのデザインを創り続けたからでしょう。そして2人のデザインとは、チャールズの科学知識をレイの美的感覚で彩り、レイの思い描く美をチャールズの技術力で現実の形に変えることでした。
 テクノロジーとメンタルケアの両立が大切とされるこれからの時代、イームズの魅力が、さらに多くの方に理解していただけることを願ってやみません。

読売新聞大阪本社 文化事業部 天埜実代子

 




「チャールズ&レイ・イームズ」展

2005年 10月8日(土)〜12月11日(日)  目黒区美術館




主催:読売新聞大阪本社

 

 
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